医療法人 新前橋耳鼻咽喉科

●ぶらり前橋(制作途上)
青文字は、「しきしま郷土カルタ」より
 ★焼きまんじゅう江戸から続くみその味:焼きまんじゅうなら原嶋屋総本家
原嶋屋総本家 入り口のれん たれをつける 焼いている
       
いろり 店内で食べられる お土産セットもあり 2串
焼きまんじゅうの総本山 群馬名物「焼きまんじゅう」の総本山的存在。創業は安政4年(西暦1857年)。「焼きまんじゅう」と言えば原嶋屋、原嶋屋と言えば「焼きまんじゅう」と言われる。 群馬独特の食べ物だった「焼きまんじゅう」も、原嶋屋総本家がマスコミにたびたび取り上げられたり、県外イベントに出店したりしていることもあって、群馬県民以外のファンも増加中。

 ★岩神のいわれを伝える飛石稲荷:飛石稲荷
鳥居 巨岩 道祖神
昭和町三丁目の岩神稲荷神社の境内(けいだい)には、見上げるほどの大きな岩があります。この岩は赤城山の山頂部にあった赤褐色の火山岩です。この岩は火口から噴出した高温の火山岩や火山灰が冷えて固まってできたものと考えられます。  10万年以上も前の赤城山の上半分がなくなるほどの大規模な岩崩れによって押し出されたものです。ここより北の板東橋(ばんどうばし)近くの利根川沿いの崖(がけ)には同じ岩が見られます。それが約2万年前の前橋台地を造った浅間山の火山泥流(かざんでいりゅう)でここまで押されて来たものと考えられています。  見たところ、いくつかの岩を積み重ねたように見えますが、ひと塊(かたまり)の石で、埋まっている部分を含めると、周囲が約60m、高さは地表の露出した部分だけで9.65m、さらに地表下に数mは埋もれていると推定されています。  古くからこの岩を信仰の対象にしたところから岩神の地名が起きた地名の発祥地(はっしょうち)ですが、現在は町名変更により昭和町三丁目になっています。  この稲荷神社は、この岩にノミを入れた石工がたたりで死んだことを恐れて神社を建てたのがはじめであるとか、また酒井重忠(さかいしげただ)が前橋藩主となった時祀った(まつった)ものともいます。また、この石は田口町の片石山(かたこくやま)が利根川の大水で欠けて流されたものであるとか、浅間山の噴火でとんできたものだという伝説もあります。そのため飛石稲荷(とびいしいなり)と呼ばれています。  神社のすぐ東の道は、旧沼田街道で、古くから多くの旅人が行き来していました。また西側を流れる広瀬川は元は岩神稲荷のすぐ西を流れていました。明治の写真をみると、岩の上の樹木の様子は今とほとんどかわりません。岩の上という厳しい成育環境を物語るように思えます。  岩神の飛石は、私たちに前橋とその周辺の自然の歴史と営みを教えてくれます。

 ★敷島小がうぶ声あげた橋林寺:橋林寺
前橋市住吉町にある曹洞宗の寺院です。青松山高竹院橋林寺(きょうりんじ)といいます。本尊は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)です。  『橋林寺由緒沿革』によれば、1475(文明7)年に厩橋城主長尾左衛門景信によって城の金井曲輪(かないくるわ)に建てられたといいます。今の市立図書館北側にあたります。1477(文明9)年1月28日にに沼田の迦葉山(かしょうざん)から玉岑慶珠(ぎょくしんけいじゅ)和尚が招かれて開山となりました。  伝説として、城主が城のやぐらから雪景色を見ていると迦葉山(沼田市)に向かう禅僧が多く通った。呼んで問答をすると才知に秀でていたことに感服し、城門の橋際に寺を建てて橋林寺と称したという話があります。  はじめは青松山本橋院とも、高竹院ともいいましたが、1585(天正13)年橋林寺と改めています。天正年間に寺の場所が城の用地となり、広小路に移転、さらに1650(慶安3)年2月に,そのころ勢多郡岩神村といっていた今の場所に移っています。幕府からは知行20石を与えられていました。  前橋風土記によれば、前橋城主長野弾正(ながのだんじょう)の寄進状、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の朱印状、多数の絵画や仏像があったと記録されていますが、戦災や火災でほとんど焼けて失われています。  本堂に接して観音堂があり、安置されている聖観音は開基の守り本尊といわれ、子育て観音として有名です。毎月17日はお参りの人でにぎわいます。この秘仏を開くと火難があるといわれています。ご開帳は60年に一度です。  応永32年(1425)の年号がある鰐口(わにぐち)は青銅製のもので、県内では数少ない中世の作品です。また、境内の巨大な地蔵と釈迦の青銅仏は1767(明和4)年の建立で、鋳物師(いものし)、丸善太郎の秀作の一つだといいます。  1853(嘉永6)年に雷のために焼失していますが、このときは大きな雹(ひょう)がたくさん降ったそうです。一番大きなものは、1.8sもあったといいます。  ここは1873(明治6)年3月12日に敷島学校が開校した場所です。敷島の名前はこの橋林寺の所在地が岩神村敷島だったからといいます。県内では4番目でした。第一大学区第十七中学区の第四番小学校として開校し、翌年5月に敷島小学校となりました。  また、旧本堂は近代化遺産の建物で、型枠コンクリートブロック工法で作られています。これは、L字形、T字形の薄板状のコンクリートブロックの断片を組み、要所に鉄筋を入れてコンクリートを打つものです。設計者の中村鎮は中村式コンクリートブロックを考案した建築家です。この建物は1932(昭和7)年に一階を位牌堂(いはいどう)、地階(半地下)を納骨堂(のうこつどう)として建築したものです。1945(昭和20)年に木造の本堂が焼失したため正面に木造の向拝をつけて本堂にしました。
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